平成最後の〇〇

2018.09.28

ここ最近よく耳にするのが「平成最後の〇〇」という言葉。
こんにちは。日常的にも”J”と呼ばれている者です。
私の耳にこの言葉が残り始めたのは「平成最後の夏」という言葉からでした。
ちょっと「平成最後の」でネット検索してみても出てくる出てくる。
「平成最後の秋」・・・「冬」も間もなく。
「平成最後のハロウィン」「平成最後のクリスマス」
などというものもきっと出てくるでしょうね。
・・・ハロウィンもクリスマスも西暦でしょ。
「平成最後の収穫」「平成最後のおせち」商機につなげたい想いが必死。
変り種としては「平成最後の仮面ライダー」
内定者、卒業式、入社式なんて言葉も年明けには使われるのでしょうか?
「平成最後の〇〇」という言葉は文字通り平成という一つの時代の終焉を表現しており、
「~最後の」というフレーズにはエモーショナルな刺激を含んでいます。
そんな、平成最後の9月25日、私事ですが、郷里の実家が消滅しました。
両親の高齢化に伴い何部屋も使っていない部屋がある家は住みづらく、
両親は同市内でマンションを借りて引っ越してしまいました。
もう帰郷しても帰る家はないのです。
実家を出て30年近く経つので、強いて思い出さなければセンチメンタルになることもないのですが、18歳までの自分が使っていた部屋の中のモノたちが大量に捨てられたのだと思うと、心穏やかではありませんでした。
dav
「最後」の言葉に感じるエモーションは何かとの離別を感じさせるからなのだと理解しました。
今では写真(写メ)で記録しておくしか手立てがありませんが、そのうち、写真ではなく何かしらの方法でバーチャルに記録しておくなんてことができたらいいなぁと思いました。
もう二度と目にすることができない離別したモノたちに、バーチャルで会えたら…
バーチャルアルバムで昔の家に上がり込み、昔のタンスを開けてみたら…
そんな時代が来るのかもしれませんね。
「今」だった平成が『3丁目の夕日』のようにノスタルジーで語られる日もきっと来るのでしょうが、ノスタルジーの語られ方は変わるのかもしれません。
スペースラボのVR事業に、ぜひご期待ください。